西暦/和暦
当時の私の年齢
【出来事/写真について】
--- その当時想った事、感じた事 --- 今あらためて想う事、感じる事 ---
1964年/昭和39年
0歳
■出来事/写真について
1964年(昭和39年)3月13日
私、越路一晃が‥
栃木県鹿沼市で、化粧品店を営む家の長男として生まれる
■その当時想った事、感じた事
もちろん、その当時想った事や感じた事などの記憶はありません
■今あらためて想う事、感じる事
父が『店を持つ』という夢を抱いて東京の問屋さんで修行の後に、その夢を実現した数年後ですね。『Always-3丁目の夕日』の時代の少し後で、地方にも東京と同じ文化が普及しはじめた頃かと思います
1965年/昭和40年
1歳
■出来事/写真について
多分、店兼自宅の横の路地で、母と一緒に撮影した一枚
この頃は『ベビーコンクール』なるものがブームだったようでして、実は私もそのコンテストに出場し『健康優良児』なる賞をいただいていたようです。子どもの頃、その時の記念撮影写真を見た記憶はあるのですが、見つかりませんでした
■その当時想った事、感じた事
その当時の記憶はありませんが、その『健康優良児』なる賞は、鹿沼市で10人程度が選ばれていて、同じ小学校の友人にも1人いたのですが、二十歳の頃に母が「もう一人の健康優良児は東大経済学部だってね〜。。。」と一言
■今あらためて想う事、感じる事
今、思えば、この『ベビーコンクール』なるものの選考基準は何だったんでしょうかね?ちなみに、私もその友人も『太っていた子供』でした。
1967年/昭和42年頃
3歳頃
■写真について
多分ですが、私が3歳の頃の我家のマイカー
■今あらためて想う事、感じる事
これは偶然なのか何なのか?‥この後、約15年頃に起きる我家の大きな転換期を予感してたのか?
このWebに掲載する写真を整理していた時に気づいたのですが‥
ナント車のナンバーが『イレブン・セブンさん』だったんですよね〜。余談ですが、既に他界している祖父は、亡くなる直前まで何度教えても『イレブン・セブン』と言っておりました。
1968年/昭和43年
4歳
■出来事/写真について
当時、店の中での一枚
なん我家は『こしじ化粧品店』という屋号で自営業を営んでおりましたが、なぜか『店内の30%ほどのスペースでお菓子屋さん』もしておりました
■その当時想った事、感じた事
今で言うところの『小腹はすく』という状況になると、店先に行って食べたいお菓子をセレクトし、親に「コレいい?」と言って、よく食べてた記憶があります。もちろん、お金を払った記憶はありません
■今あらためて想う事、感じる事
今思うと、従業員さんも当時いらっしゃたので、その方々は何となくですが予想がつく事を思っていたんでしょうね
1969年/昭和44年
5歳
■出来事/写真について
おっ、この頃に『昭和のテレビジョン』が、我家にも!
■その当時想った事、感じた事
このテレビの記憶は思い出せないのですが‥
この後の機種の事は記憶に残ってるんですよね(それについては後ほど‥)
■今あらためて想う事、感じる事
写真がモノクロなので解らないのが悔しいのですが、テレビ自体はモノクロだったのかカラーだったのか?
1970年/昭和45年
6歳
■出来事/写真について
幼稚園年長時の運動会の写真ですね
なんと『仮装行列』の先頭で、ナゼカ新郎役で歩いてたようです
■その当時想った事、感じた事
当時の記憶としてわずかに思い出せるのは『恥ずかしかった』と。。。
■今あらためて想う事、感じる事
私が小学生になった以降の記憶では『運動会の見せ場はリレーや騎馬戦』だった記憶がありますが・・・
これは全国的だったのか、それとも栃木県鹿沼市だけの事なのか解りかねますが‥
当時の運動会では、幼稚園〜高校まで『運動会では最後の仮装行列が見せ場』だったと両親から聞きました
■出来事/写真について
下の写真は、その運動会時の親出場競技時の『母の行進風景』です
■今あらためて想う事、感じる事
写真をセレクトしている時に、気になったので掲載したのは、運動会でも『商人の笑顔』をしている事に笑ってしまったからです
中学生の頃など、それが嫌だと思った時期がありましたが、今思えば『商人の子供』として生まれた様々な事が、現在の原動力につながっていると思ったので、つい載せてしまいました
1971年/昭和46年
7歳
■出来事/写真について
いきなりですが、その頃に撮られた『私の父の写真』です
母の写真の登場回数2に対して、父ゼロというのも・・・と思い、載せてみました
息子の私がいうのもなんですが、ルックスは私と違って昭和の言葉でいうところのハンサムです。当時のウチの店は『配達をする化粧品店』であり、お相手は主婦がほとんど。このルックスが武器になっていたという気も致します。
■今あらためて想う事、感じる事
写真をセレクトしていて思ったのは、小さい頃の写真は『家族全員で映っているモノがない』という事で、その頃は次の2つのアイテムや文化がなかったのでしょうかね
・カメラのセルフタイマー機能
・誰かに『すいませ〜んシャッター押してもらえますか?』という文化
1972年/昭和47年頃
8歳頃〜
■出来事/写真について
当時の『店の中での一枚』です
我家のカメラもカラーになった頃ですね
写真では笑ってますが、実はこの頃『鉄棒から落ちる』という怪我をして首の骨がずれるという事件がありました
怪我自体は、完治したのかどうかウヤムヤな事になった記憶があります
そして、実はこの『首の怪我』が、このWebに関連する事につながるのです
それは、怪我は完治したのかもしれないのですが、その違和感からなのか『首を曲げてポキっというと安心する』というクセが、当時なってしまいました
いわゆる『私のチック症の歴史』の幕開けです
『首を曲げるクセ』が落ち着いた頃には、今度は『まぶたをパチパチさせる』というクセを始めるようになりました
■その当時想った事、感じた事
当時は、チック症を知っている人も少ないようで、同級生にからかわれるのは勿論の事、先生には「変なクセやめなさい」と言われたり、家族以外の大人などからも「心ない言葉」を言われた記憶があります
でも、チック症というのは『いつの間にか気づかないうちに忘れてる治ってる』というもので、中学生ぐらいから気にならなくなった記憶があります
(とくに小学校高学年の少し異性を意識し出した頃には『恋愛には不利かも?』と思った記憶があります)
■今あらためて想う事、感じる事
ですが・・・
この『チック症になった経験』が、実はその後、仕事などで『お客様がクセになる商品やサービスを見極める重要な心理学』として役立つようになるのであります
1976年/昭和51年
12歳
■出来事/写真について
小学6年生の時の、祖父と弟と一緒に撮った一枚です
5歳の頃に書いた、我家2台目のテレビがあります
■その当時想った事、感じた事
リモコンの前段階とでも言えばいいのでしょうか『コードの付いたリモコン』で、コタツでチャンネルを切り替えていたのを思い出します
テレビの話はおいといて・・・
■出来事/写真について
それらしい写真が残っていないのが残念なのですが、この頃の私は‥
『毎日いつでも頭の中はゴルフ!』という生活をしておりました
自作のクラブ(壊れたモップの棒部分をシャフトにし、木板を切ってフェイス、そしてガムテープで結合する)で、家の庭をミニゴルフ場に見立てて日々楽しんでおりました
■その当時想った事、感じた事
この頃の私のテレビ番組の選択は今思えば『子供と大人の混同』みたいな感じで、土曜日などはタイムボカンシリーズを見てその後に一年間かけて全試合が放送された『日本プロゴルフマッチプレー選手権』を見てました。私の記憶が正しければ、そのゴルフ番組の解説をなさっていたのが戸張捷さんだったような気がするのですが、間違っていたらゴメンなさい
普通の子供でしたら『将来はプロゴルファーになる!』となるのでしょうが、私の当時の夢は次に3つでした
1‥ゴルフ場の設計士になりたい(ニクラウスが設計したアメリカのセントアンドリュースに憧れてました)
2‥ゴルフ関係の統計をする仕事をしたい(ちなみに当時は新聞片手に、毎週行われるプロの大会の賞金ランキングなどを自分で集計したりしてました)
3‥戸張捷さんみたいな人になりたい
多分、自分の運動神経を当時の学校内での運動能力の相対値で考えて、このような夢を抱いたのかと。
1番目のゴルフ場設計士は、かなり真剣に考えていて、当時ウチの店では手芸品も扱っていたので『手芸用のノート』を親にねだって、そのノートの1目盛りを1ヤードに見立てて、夢のゴルフ場を書いてた記憶があります
■今あらためて想う事、感じる事
この時期から、現在に役立っている事は計りしれませんね
例えば、夢の部分から繋げて考えると・・・
1‥細かい仕事も苦にならない。デザインの大切さ。その他
2‥統計学の大切さを知り、自分の思惑や期待値よりも、何より数字が結果を表現する
3‥前例のないマーケットや職業を作り出す大切さ。
1と2と3を総合し『理系的な統計結果を背景に、文系的なコミュニケーション、そして双方に必要な仮説力が大事』という、現在の私の表現方法等はこの時期にかなり影響を受けたと言えると思います
1978年/昭和53年
14歳
■出来事/写真について
中学生3年生の時の写真です
この頃はバレーボール部に所属しキャプテン&エースアタッカーなるものをしておりましたが、正直バレーボールには夢中になれなかった記憶があります
これはバレーボールがそうこうよりも、小学生高学年の時のゴルフへの興味が強く、中学に入学した時に「ゴルフ部がなければ・・・」という選択肢だったからであります
という事で、部活動にはそれほど夢中になれなかったものの、中学2年の時に友人からの影響で『ロック・ギター・音楽』に夢中になりました
ですので当時は『早く高校生になりたい=ロックが思う存分出来る!』と思ってました
■その当時想った事、感じた事
当時は、ゴルフに夢中になった時とは異なり真面目に『将来はリッチーブラックモアのようなギタリストになりたい!』と思ってましたね
とは言うものの、心の中では『自営業の長男だからそれ以外の夢は言い出せない』という葛藤と戦っていた時期ですね(今の時代では珍しいでしょうが、当時の自営業の長男は同じ事を考えていたのではないでしょうか)
■今あらためて想う事、感じる事
今思えば、この当時の葛藤が、その後のエネルギーを貯える様々な要素につながる事になっていると思いますので、その環境に対しては今は感謝しております
1980年/昭和55年
16歳
■出来事/写真について
高校生になり、憧れのロックバンド活動を思う存分楽しんでました
洋楽も楽しんでましたが、時代は1980年代突入。今では死語となるようですが邦楽バンド系が『ニューミュージック』ともてはやされ、下世話ですが『邦楽のほうが学園祭ではウケるかも!』なんて思ってましたね
当時の残っている写真は、このようなフザけた写真ばかり。大事な写真は残しておくべきですね(ジャパネット高田社長の言ってる意味の大切さが身にしみます
バンドを楽しんでいる中で『アドリブ演奏』に遭遇し、それからバンドからは少し距離が出来て『オリジナル曲を作る』という事を始めた頃でもあります
当時は、現在のようなパソコンでのHDRはもとよりマルチトラックレコーダーなど一般人が手に入れるない代物でしたので『テープレコーダー2台で録音して1曲に完成させる』という作業をしてました(1曲が出来上がるとテープのヒスノイズの嵐が気になってました)
■その当時想った事、感じた事
中学生の頃の『ギタリストになる』という夢から変化が起き、この頃は次の2つの夢を持ってました
・ギターもいいけど、歌も歌えて曲も作れるシンガーソングライターになりたい
・でも曲作りのプロセスの中で『サウンドエンジニア』もいいな
とは言うものの、心の中では中学時代と同じで『自営業の長男だからそれ以外の夢は言い出せない』という葛藤と戦ってい。。。
■今あらためて想う事、感じる事
考えてみたら、この時代に自分が行っていた行為や夢が、現在の仕事の中心になる『ものづくり』に繋がっていたんですね(そうこう書いては入るものの、重複しますがその当時の写真がこれというのは悲しい)
1981年/昭和56年
17歳
■出来事/写真について
化粧品店をメインに営んでいた我家が『コンビニ』へと!
高校2年の終わり頃に、その話が進み、父は『長男であるお前にも相談する』という事で、正式契約の前に「親父がやりたいなら反対しない」と言った記憶があります
■その当時想った事、感じた事
この時の、親父からの相談の時に『家を継がないとダメかな?』と言えなかったのですが。。。それ以上に、自分の夢を親に伝える時間も無いほど、家庭内が忙しい状況に変化して行きました。と同時に、アルバイトとして自分も参加し、当時は責任者ではなかったので、同世代のアルバイトの人たちと一緒に働く楽しさを憶えています
■今あらためて想う事、感じる事
今となっては『仕事が不規則な時間でも違和感ない事』そして親の後ろ姿を見ていて『お客様がたくさん来ていただける事はすごい事なんだ!』という喜びと同時にその責任感を、高校生でしたが少しづつ憶えていたのかもしれません
コンビニで学ばせていただいた事は、社会人になってからが物凄いボリュームですので、この時点ではこれぐらいの触れ方にしておきます
1982年/昭和57年
18歳
■出来事/写真について
これは高校3年生の文化祭での2枚です(2枚目は卒業アルバムからです)
ブラスバンド部の先生に、当時ブームの「たのきんの曲を演奏するんで歌う人を探してたんだけどオマエだと喜んでやりそうで・・・」ということで、その当時のものなのですが‥
この頃は『ものづくりをコミュニケーションで楽しくする』と‥
今となれば、そういう言い方が出来ますが要は『残された高校生活を楽しなまいと!』というパフォーマンスが強くなりだした頃です
修学旅行では禁止のレコーダーを持参し、当時のマル秘ドッキリ的に『友人の寝起きを録音』し、それをバスの中で流して笑いを取るなど。
また、生徒会の選挙では『立候補者ではなく応援弁士』を複数回頼まれて100%当選させた記憶があります。が、応援弁士とはいうものの要は『数十人の先生のモノマネ』をして笑いをとっただけなのですが。
■その当時想った事、感じた事
このようなパフォーマンスをすると、言ってみれば『学校内で自分を知らない人が誰もいない』という状況になるのですが、これはある意味、快感でもあるけれど、悪い評判になった時には通常以上のダメージにも繋がると思いました
■今あらためて想う事、感じる事
応援弁士で行っていた『先生のモノマネ』のシナリオは『□□先生に、□□君が立候補するのでインタビューしてみました』的な流れでしたので、今思えば『必ず立候補者の名前が露出し、結果的にはすり込み効果』となっていたのかと思います。要は『立候補者は真剣だけど、投票者は真剣過ぎると引いてしまい、楽しみながら憶える』というコマーシャル制作のコンセプトを知らず知らずに行っていたのかもしれません
また、どんなに『イイもの、いいサービス』も伝えなければ意味をなさない事の大切さも、高校時代を通して楽しみながら学ばせていただけたと思います
ですので、そのパフォーマンスに対して『フザけるな!』ではなく『オマエは面白いな!』という評価をしていただけた高校時代の先生方には、今でも感謝しております。この場を借りて、ありがとうございました
1983年/昭和58年
19歳
■出来事/写真について
専門学校時代に友人達と海で撮った一枚です
当時の私は『長男だから跡継ぎ』という流れのまま、あまり勉強しようという意識もない感じで、一応経営学部(?)だった気がしますが、専門学校に入りました
■その当時想った事、感じた事
ですが、私の中では『専門学校に行く』という意識よりも『東京に行く!』という意識が殆どだったと記憶しております
よく遊び、よく食べた、という記憶があります(ちなみに毎日1人で五合のお米を食べておりました)・・・が今よりも約30キロも痩せておりました
■今あらためて想う事、感じる事
正直、高校時代のようなパフォーマンスを発揮する機会も無く、なんとな〜く流されて生きていた当時だったと思いますが、その時代に知り合った友人知人の中でも『東京生まれ』の方とのコミュニケーションが実は現在勉強になっております
【法則の箱】か何かのメニューで、いずれ書く事になると思いますが『都内の人でも東京生まれは少数派で、実はその方々の考え方はローカルと共通する部分がたくさんある』という事です
実は『東京は発信地ではなくフィルターである』と、つくづく思うのです
1984年/昭和59年
20歳
■出来事/写真について
楽しい学生生活も年貢の納め時、社会人になった直後の休日の1枚です
『長男だから跡継ぎ』という流れに逆らう事も無く、コンビニの店長としての生活がスタートです
■その当時想った事、感じた事
年齢が若かったのか、または理由はいろいろ。一番大切な『人とのコミュニケーション』に苦労していた時期という記憶があります。
■今あらためて想う事、感じる事
また、それなりに集客力のあるビジネスがスタート地点であったが為に、お店にお客様にいらっしゃっていただける事が『凄い事』ではなく『当たり前』という意識があったと反省すべき時期でもあり、後に現在の事業を始めた時に『ブランド力の大切さ』を痛感する事になりました
そんな時期でもありましたが、現在でも何よりも勉強になっている事は『仮説と検証の大切さという事を教えていただくスタート地点』であった事に、この場を借りてありがとうございました
1986年/昭和61年
22歳
■出来事/写真について
結婚式の写真です
22歳の時に、高校時代の同級生と結婚しました
専門学校時代に連絡を取り合ってから恋愛がスタートする事になったので、高校時代のパフォーマンスが、ここに繋がっているのかも?
■その当時想った事、感じた事
結婚式直後の喜びとしては、実は『結婚する』という喜びよりも『社会人になって初めて1週間休みが取れる』という喜びが記憶に残っております
また、仕事のパートナーにもなりましたので『自分と近い価値観の人と常に話が出来る』という喜びを感じた記憶があります
ケーション』に苦労していた時期という記憶があります。
■今あらためて想う事、感じる事
今となっては、現在のような『このような波乱万丈な人生』になるとは予想もせずに一緒になってくれたのかと思いますが、恐くて聞けません。。。
1987年/昭和62年
23歳
■出来事
22歳〜24歳の頃にかけて、一時期パチンコにハマりました。ですが、結婚直後でもあり当時の給料ではアッという間に自分の小遣いが消えていく状況。
■その当時想った事、感じた事
この頃、ふと思った事‥
『運良くギャンブルで手に入れたお金は、比較的手元に残らない事が多い』これはいわゆる消費という事である。であれば『大切なお金は、消費ではなく、自分に投資出来る事にお使うべき!』ではないだろうかと。
■今あらためて想う事、感じる事
この時の『私自身の気づき』は、今でも正しかったと思っております
■出来事/写真について
この時期に『自分ができる自分への投資であり、同時に満足できる事』と同時に『お金以外で残るもの』という自問自答をしました
そこで出た答え
『私は曲が作れるではないか!』

『数年前は手の届かなかったマルチトラックレコーダーが手軽な金額になった』

『曲は一生残る!!!』

という事で、毎月のお小遣いでクレジットを組み、次の3点を購入する
・マルチトラックレコーダー
・シンセサイザー
・シーケンサー(作曲用コンパクトコンピュータ)
■その当時想った事、感じた事
導入当初は、デジタルの仕組みが理解出来なくかなり苦労しましたが、最初の曲が出来上がった時には物凄い感動をした事を憶えております(現代の方には予想出来ないかもしれませんが、高校時代のテープレコーダー2台でのダビングによるヒスノイズの嵐を思い出すと感動ものでした)
■今あらためて想う事、感じる事
当時のシーケンサー(作曲用コンパクトパソコン)はもちろん、シンセサイザーともに小さなディスプレイに文字が表示されていたのですが『全て英語』でした。でもこれが、その後〜現在まで『英語は苦手だけれどパソコン関係の英語ならばニュアンス的に理解出来る』という事に役立っていると思います
そして何よりも、重複になりますが『お金は消費ではなく、投資に使うという事の大切さ』を、この時期におぼえられた事は、今でも自分自身の財産になっていると実感致します
1988年/昭和63年
24歳

1990年/平成2年
26歳
■出来事/写真について
1988年(昭和63年)に長男、1990年(平成2年)に長女が誕生!
■その当時想った事、感じた事
自分の子供と接する事になり、当時何といっても思った事は『子育ては子供のの成長はもちろんだけれど、それ以上に親が成長するために与えられた事』であると。
とくに、コミュニケーションの基本は『言葉のキャッチボールを辛抱強く、最後まであきらめずに行う事』なのではないかと。
■出来事
当時のエピソードとして憶えているのが『長男の初めての幼稚園の運動会前日の会話』です。私が長男に「あしたは一所懸命がんばれよ!」と言った時の事(もしかすると一生懸命と言ったかも)
彼から返ってきた言葉「パパ、いっしょけんめいってどんな意味?」
一瞬、即答出来ずに口ごもる私。すぐに辞書で調べた記憶があります。しかし辞書に書いてある言葉は、大人向けの言葉。
もしかするとそこで「一生懸命は一生懸命だよ!」とか「まっ大人になればわかるかなっ!」というコミュニケーションもあるのかもしれません。
そこで私が行った事。息子に、まずは「パパの腕を軽くつねってごらん」そしてその後に「今度は思いっきりつねってごらん」「いや、まだまだ〜全然痛くないな〜」「まだまだ〜、それぐらいしか力ないのか〜?」必死になる息子。
息子が、彼自身の最大の力を出した時に、そこで私は彼に言いました「それが一生懸命だ!」そして「もう、これ以上は出ないと思った時が一生懸命だ!」
■その当時想った事、感じた事
当時『我ながらイイ表現だったな〜』と自分に酔いしれた記憶があります
■今あらためて想う事、感じる事
この時、そしてこの後にも繰り返された子供たちとの様々な会話のキャッチボール。これは何ごとにも変えがたい現在に活かされている財産です。
ですので、仕事などを通してお客様から「ウチの会社の□□は使えなくてスイマセン」と言われた時に「いえいえ子育てしてきてますんで別に平気です」という言葉を、心から返せるのもそれらが活かされているのだと思います。
また、その時に必ず私がセットにして言ってる言葉は「それに、□□さんは凄く変わってきていると思いますよ。大切な事は変化している事を評価してあげる事だと思いますよ」と。
コンビニそして子育てを通して学ばせていただいた事、それは何よりも『変化に対応する事の大切さ』であり、それを快感と思えるようになったことであります
■出来事
長男が幼稚園年中児の時に、遠視であることが解りました。そして彼が眼鏡をかけはじめた時に様々な方々が言葉をかけてくれました。「あらっ小さいのにたいへんね」的な言葉がほとんどでしたね。
でも、そんな中である近所の主婦の方が言ってくれた言葉『はやく気づいて良かったですね』
■その当時想った事、感じた事
その言葉をいただいた時に思った事『自分もほとんどの方がかける言葉をいってたかもな』と同時に、私自身も言葉というのは大切に扱う事に気をつけよう
■今あらためて想う事、感じる事
この数年後、ラジオCMのコピーコンテストでいくつかの賞をいただいただいたり、とにかく様々な方々とのコミュニケーションをさせていただく中で、この時の『言葉の大切さ』をおぼえた経験は本当に財産だと思います
1991年/平成3年
27歳
■出来事
当時、私は20代後半に差しかかった頃。この頃に仕事を通して感じていたのは『プラスセールスが本当にお客様のためになっているのか?』と同時に『要は売り手サイドだけの都合の手段』であり、結果的にお客様に嫌な思いを与えてしまう事はないだろうか?と。
丁度その頃、私も父も利用していたあるガソリンスタンドがあったのですが、ガソリンを入れる度に必ずプラスセールスしてきます。その頃私は父に聞きました「あれってどう思う?」すると「いいんじゃないか〜教育ができてて〜」そこで私が返した言葉「俺はさ〜毎回毎回断るのが面倒だからスタンド変えた!」
■その当時想った事、感じた事
この時に私自身が起こしたアクションが、まさに自分のお店でも同じ事なんだとしたら、もう売る側の勝手な一生懸命は、逆にお客様を不満にさせて、結果的に売上減という事に繋がるのでは。
そこで私は考えました
■出来事/写真について
数年前に購入したシンセサイザーその他の機材が『コンビニの販売促進』で活かされるのでは!
要するに『販売促進用の店内放送』のテープを、当時流行りのビートに乗せてラップ調で入れたものをコンビニの店内で流したのです。と同時にスタッフの皆さんにお願いしたのは「プラスセールスの言葉はこちらからは一切かけないでいいです。そのかわり余裕のある時間には現在流れている商品の知識を学習しておいてください」と。
その時のキャンペーンは『シェイクキャンペーン』
結果はと言いますと‥
県内ではダントツ1位。全国でも10位くらいだったと記憶しております
当時、同じチェーンのコンビニは全国で4,000店舗を越えた頃でしたので、かなりの効果だったと思います。
余談として、当時の本部担当の方とのエピソードを。彼が言った言葉「いや〜店長凄いですね〜。でも明日は本部の役員がこの地区を回るみたいなので、その時だけは本部からの販促用のテープを流してもらえますか?」
■その当時想った事、感じた事
この時に思ったのは「なに〜!」という怒りではなく『サラリーマンてたいへんだよな〜』と。
■今あらためて想う事、感じる事
でも、その時に感じた事は後々の『人によっては結果もだけど立場も大事なんだな〜』というバランス感覚を身につけられる事になったと思っております
■出来事
その後も私は『販売促進』に目覚め、様々な事にチャレンジしました。
例えば『おでん鍋の天井にライトをつける』という効果。これは、おでんのスープが澄んで見える環境になるため『POPなど問題にならないぐらいの販売促進の効果』となりました。
もしかすると、誰かが先に行っていたのかもしれませんが、その手法はマネではなくて私自身が思いついたものでした。
さて、その時も結果も県内ではダントツ1位でした
■その当時想った事、感じた事
販売促進ばかりに力を入れても、発注は?・・・と思う方もいらっしゃると思いますが、それは言うまでもありません。とくに『自分で考えた販促』ですので、同時に発注の精度もあがる事も当然ですし、何よりも『仮説と検証という作業が楽しい』と思えるようになりました
■今あらためて想う事、感じる事
この【クセになる法則】での最大のテーマであります『仮説〜実行〜検証』との出会い、そしてその大切さを教えていただいた当時の様々な皆様に、この場をお借りしてありがとうございました
1993年/平成5年
29歳
■出来事
コンビニでの『販売促進』の面白さ、そして何よりもその大切さを憶えた私だったのですが、その頃からチェーンとしての規制などが強化されはじめ、いわゆる『個店ベースで販促を行うという行為』に対して、本部からクレームを言われる事が多くなりました。価格引き下げなどといった本来の契約違反は行っておらず、あくまで『店内でのコマーシャルとしての販促行為』をしてきたつもりだったのですが。
そんな状況の中、徐々に『コンビニの仕事』というものにやる気を失ってきたおりました。
■その当時想った事、感じた事
しかし、当時、子供の大きくなりはじめ。普通の人たちは、いわゆる『これからは安定が第一』と考える時期だと思います。私も、同じ事を考えておりました
でも私の心の中では『今の自分の能力を、もっと広い世界で試してみたい』という気持ちが芽生えはじめておりました。そして、何よりも思った事『確かに家庭を考えた場合には安定も大事だけど、こうやって、あまりやる気のない背中を子供達に見せるほうが逆に彼らのためにはいけない事なのではないだろうか?』と。
そして私の『決断の時』が近づいてくるのであります。
決断する前に思った事、それは‥
・毎日、仕事に行く前に『イイ背中』で望みたい
・棺桶に入る直前に、もしかすると失敗するするかもしれないけど『やった事』に満足して『悔いのない人生だった』と思って死にたい!
・そして『今の自分の能力を、もっと広い世界で試してみたい』という気持ち
■出来事
決断〜発表の時を迎える日となります
今でも憶えているのは、父が『まっ本音は寂しいかな』と。でも、それまでの悶々とした私の様子を察していたのか、思っていた以上にスムーズだった記憶があります。ただ、その時に父が言った言葉「でも自分のやりたい事で、どこかに勤めるのはダメだ。やるならウチの会社の中に部門が増えるという環境で初めるならば許す」と。
■今あらためて想う事、感じる事
実は、私の中では当時『そういう会社に勤められれば・・・』という思いがあったので、不満を抱いた記憶があります
ですが、今となってみれば、父の心の中で考えたいくつかの事が、私自身にも考えられるようになった気がいたします
・『自営業の跡継ぎが、それを辞めて他で働く』=『あそこ大丈夫なのかな?』と思われる事は避けたい
・『アイツにはサラリーマンという組織の中で仕事するのは無理だろう』
考えた事を書き出しますと、切りがなくなりそうなので、これぐらいにしておきますが、結果的にはその父の言った言葉を守ったからこそ今の自分があり、そして父の様々な思いを私自身が仮説を立てて、何より『親に恥をかかせる事だけはしないようにしよう』と思ってきた事が、今日の自分に繋がっているような気がします。
また、もしかすると『親というのは子供の性格を本人以上によく分かっていた』のかもしれないと最近は思います
今となっては『同じ経営者という立場で話が出来る人が必ず私にはいる』という事が、自分自身の励みにもなりますし、何よりも自分が甘えそうになった時にも『私の指針』となっているものと思います。
そして『その時に許してくれた家族や私の回りの皆さん』に、今、この場を借りてありがとうございます
1994年/平成6年
30歳








■出来事/写真について
1994年/平成6年、私30歳の時に、株式会社こしじの中のコンビニ以外の部門として‥『オーバーロードクラブ』がスタートしました(地元鹿沼市の賃貸マンションを1室借りての業務開始でした)
まずは『店内放送を作る会社』としてスタートしようと考えていたのですが、その当時の私の実績といえば‥『そういった会社での経験はゼロ』という事で・・・
・何も実績なしというのも何なので、テレビ東京のアナウンサーセミナーを受講
・自分の店以外のコピー原稿は書いた事がなかったので、いくつかの『放送局のラジオCMコピーコンテスト』に応募する(結果、初めての応募ながら驚くほどの賞をいただきました)
そして、何よりも高校時代の同級生で演劇部の友人が、声優になっている先輩を数人紹介してくれるなど、ほんとうに当時はお世話になりながら、スタートを切る事となりました
■その当時想った事、感じた事
スタートする前は、あまり不安を感じていなかったのですが、日を重ねる毎に不安が増える日々を送っていたという記憶がよみがえってきます
■出来事
その後、地元ラジオ局の代理店となりましたが、いわゆる代理店としても業務よりもCM制作のお仕事がメインでどうにか今までやってまいりました
■今あらためて想う事、感じる事
今回の【クセになる法則】のホームページの立ち上げも、実は第二の独立のような気持ちで望んでおります。その頃と異なり、様々な判断ができるようになった分、正直、早い時期に不安もありますが、とにかく『真実』そして『愛』で、私自身を判断していただくだけだと思っております
また、この場を借りて、当時のスタート時、そして今まで支えてきてくれたたくさんの皆さんにありがとうございます

■出来事/写真について
1995年に友人のデザイナーからのお誘いをいただき‥
『栃木県デザイン協会(DAT)』に入会させていただく
この団体及びメンバーの方々から学ばせていただいた事は、本当に今にとってとても大切な財産となっております。
■その当時想った事、感じた事
なにより、チェーン店の小売業経験しかなかった私にとって『自分で価格を決める』という行為が、実は一番苦労した部分でもあり、中でも『価格は市場だけ決めるのではなくて、価値で決める事も大切である』という事を教えていただきました。
■今あらためて想う事、感じる事
今日の私は、この団体なくして存在していないとも思いますし、この団体を通してお会いさせていただいた著名なたくさんのデザイナーの方からいただいた言葉がとても財産になっております

■出来事/写真について
1996年10月『自社のホームページを開設』する
当時は、Plug-inとしてはFlashよりもShockWaveの時代でしたので、時間がある時には、それらのホームエージ用のゲームをたくさん作っておりました
それが、どこからともなく噂になり『様々なテレビ番組、雑誌、CD-ROM、その他たくさんのメディアで紹介されるゲームページ』という評価をいただきました
■その当時想った事、感じた事
とにかく『評価をしていただけた!』という喜びを感じていた時代です
■今あらためて想う事、感じる事
今思いますと、仕事もさほど忙しくなく時間があり、また30代というのはテーマを与えられなくても自ら行動する事が出来た頃なんだと思います
当時は、ホームページ関連のお仕事の依頼は殆どありませんでしたが、数年後からその類いのお仕事をいただく機会に恵まれて、ある年などはホームページの売上がかなり占めるという事もありました
■その当時想った事、感じた事
数年後からShockWaveよりもFlashがインタラクティブな表現ツールの中心となってきましたが、私の中では『ホームページに大切なのは目的である』と思いはじめた頃でありました
■今あらためて想う事、感じる事
今も変わらず思っている事、それはホームページもさる事ながら『一番大切な事は、お客様の会社にとって今必要な事は何なのか』であります
ですので、お客様には『こちらの都合の良い商品やサービスを提供しようとするのではなくて、真剣に何が必要なのか?』を考える事だと思っております
ホームページのお仕事をさせていただく機会が増えて、より自分自身の存在意義を考えるようになりました。そして、出た答え‥『お客様に満足の前に、まずはお客様のお客様に満足していただき、その結果としてお客様に満足していただく事が、私の最大の使命である』と。

■出来事/写真について
2003年8月『宇都宮市に事務所を移転』する
事務所移転の最大の理由は『お客様の多くが宇都宮市である』という状況になっていた事であります
また、その移転と同時に『設備という未来への投資』として、人生初の銀行融資を受ける経験をいたしました
■その当時想った事、感じた事
当時も今も変わらない思い、それは『何よりも大切な事はコミュニケーションである』という事。そして『その素晴らしい出会いに感謝する』という事。
■今あらためて想う事、感じる事
この頃になりますと、銀行融資を受ける前段階の過程の中で『税理士やコンサルタントの方に頼らずに経営計画書を作成する』というプロセスをふむ中で、必然的に『経営理念の確立』も同時進行や固まってきておりますので、今も変わらない理念であります

■出来事/写真について
1994年(平成6年)私が30歳で現在のお仕事をさせていただきましてから現在まで、本当にたくさんのお客様そしてお取り引き様に支えられて、今日まできております。
サウンド関係のコンテンツ、マルチメディア関連のコンテンツ、テレビ映像関連のコンテンツ、ホームページ関連のコンテンツ、イベント関連のコンテンツ、そして‥これから出会える様々な方々にお役にたてるコンテンツ
全てのお客様との出会いをご紹介させていただければとは思うのですが、守秘義務のあるものなどもございますので、お客様にご了解をいただきましたものから【実績の路】のメニューでご紹介させていただければと考えております
2008年/平成20年
44歳
■出来事
2008年(平成20年)5月28日
【クセになる法則】という、このWebを開設させていただきました
そもそもきっかけは、2007年頃から『様々なお客様からいただいた素晴らしい出会いに感謝し、そして同じ価値観を共有出来る方々にも、私の出来る限りの能力をご提供させていただこう!』という思いを抱いておりました
そして、2008年を迎えるにあたって、人生中盤でこのような思いを抱きながらも、現在の仕事だけのフィルターだけではなく『私の人生の全てを提供出来れば』と思っておりました
と同時に、そのキーワードを模索しておりましたところ、次のような事を考えたのでありました
■その当時想った事、感じた事
自分自身が『お客様のお客様の立場になっていろいろと考えた時に、一番大切な事は何なんだろうか?』という事。そして、その結果『お客様にお喜びいただくには、やはり企業の安定が最大のテーマであり、それが結果的にお客様のお客様にもお喜びいただける事』だと思ったのです
その全ての皆様に喜んでいただけるキーワードとして、実は最も大切な事は【クセになる法則】が必要であり、また『私自身が人生の時間の最大限を費やす必要があるのでは』と思ったのがきっかけでございます
■今あらためて想う事、感じる事
この【クセになる法則】のホームページは、たくさんの皆さんのお役になてる事が出来れば、それは私の最大の喜びでございます